こがねい詠春拳術会

重要コンセプト

防衛技術の必要性を感じた事件

私(代表)が武術・護身術に興味を持った話を最初にしたいと思います。

昔は東京ではなく、某地方の田舎に住んでおりました。まだ武術を習ったことがない高校1年生のころ、 高校の帰りに立ち寄った図書館からの帰り道で、チンピラに絡まれて殴られたことがありました。 いわゆるヤンキー座りという座り方をして、奇声を上げている同い年くらいのチンピラに「目があった」というだけで殴りかかられました。 奇声を上げていればチラリとは見てしまうのはしょうがないと思うのですが、 「ガン飛ばしやがった」「不快な思いをさせられた」とかいう無茶苦茶な理由を言いながら殴ってきました。 奇声を上げていたのも、こちらが振り向くようわざとやっていたのだと思います。

そのときは、ただひたすら謝りながら後ずさりし、その場から去るしかなかったのですが、 高校の教材やら勉強道具の入った重たい鞄を肩からかけていたので、全力で走って逃げることができませんでした。 顔面や口腔内に怪我を負いました。

その図書館は、小金井公園(東京都小金井市)のような広い公園内のど真ん中にありました。 親や学校の先生方からは、そのような場合は大声で叫んで助けを求めなさいとは言われていたと思いますが、 田舎の公園には、時間にもよりますが、人影などほとんどありません。 近くの人に「助けてください」と助けを求めようとしてもそもそも人がいないのです。 他者を頼ることはひとつの手段だと思いますが、状況によっては自力で問題解決をしないといけない場面に遭遇することを学びました。

中学までは非常に平穏な田舎の町で育ったこともあり、そのような危険な目にあったことはまったくなかったのですが、 中学を卒業して、行動範囲が広がることで、いろいろな事件に出くわすようになりました。

上記の話以外にも、友人が巻き込まれたトラブルに、自分も一緒に巻き込まれたことなどもあり、 そういうことが重なるたびに、自己の防衛手段があった方がいいと思うようになりました。 それで、大学生になったとき護身のために「武術」を真剣に学んでみようと思った次第です。

このような過去の痛い目にあった経験より、習うべき武術に関しては厳しい目で選んだつもりです。 『実際に有事の際に使える武術であるか?』という問いかけは、昔も今も変わらずしているつもりです。

武術を学び始めて最初に感じたこと

大学生になって、まず最初に選んだのはフルコンタクト空手でした。 その後、ご縁があって中国武術・詠春拳の世界に入っていくのですが、いずれの武術においても初学者の私が最初に感じたことは、パターンで覚えた動きが、自由組手の中でうまく使えないということでした。 実戦格闘技をされている方なら当然と言われるかもしれません。 相手がこうきたら、こう返す・・・のようなパターンの動きを何度も練習したのに、自由組手の中では自分が想定した通りにいかないのです。 当たり前ですが、相手もいざとなったら簡単に勝ちを譲ることはしません。 絶対に打たせまい、絶対に技をかけさせまいとしますし、自分のスキをみては、打撃を放り込んできたり、崩しにきます。

現実はそんなに甘くない。それを最初に感じました。

これは、当会に来ている練習生はさんざん経験していることでしょう。 だから、自由組手に重きを置き、自由組手を通して、型の動きやパターンで学ぶ動きを実戦運用できるよう洗練させていくことが大切なのです。

私が習ったフルコンタクト空手も中国武術も、いずれも自由組手を重視しており、実戦的な稽古の中で攻防の技術を養っていくことは共通しておりました。 どちらも難しく、また面白かったのですが、私の場合、詠春拳独特の自由組手の練習に惹かれるものがあり、そちらの道を選んだということです。

対抗性運動による武技の養成

当会では、自由組手のような運動や稽古を『対抗性の運動』と呼んでおります。 対抗性の運動とは、『相手が自由な意思で攻撃し、抵抗し反撃してくる運動』と定義できます。

武術をやられた方は経験されていると思いますが、先にも書きました通り、型や基本パターンで習った動作を自由組手で使おうとしても上手くいくことは少なく、難しいといえます。 パターン稽古(約束組手)の稽古のときは、相手は自分の練習パートナーがちゃんと技を使えるようにかけられてくれます。 しかし、いざ自由組手で相手が技をかけさせまいと抵抗・反撃したとき、パターン稽古のようにうまくいかないことをさんざん経験することになります。 パターン稽古と自由組手の間には大きな大きな壁があるということです。

よって、当会では、基本となる型(套路)の稽古や、パターン稽古ももちろん重視をしておりますが、対抗性の運動である「自由組手」に大きく時間を割きます。 自由組手=実戦というわけではありませんが、有事の際に対応できる実戦的な力をこの対抗性の運動の中で長い時間をかけて養うものと考えております。

忖度のない稽古会を目指して

いつの頃からか「忖度」(他人の心中やその考えなどを推しはかること)という言葉を政治マスコミが使うようになりました。 上役の意を汲み取ってということだと思いますが、当会の練習では先生や上級の先輩に忖度することは逆に良くないことだと諭しております。

初学者や優しい性格の方は、先生や先輩に恥をかかせてはいけないと、わざとやられたり、わざと技をかけられたりしがちです。 また、上級者には技がかからないと最初からあきらめてしまうものもいます。 しかし、そのような稽古からはお互い得るものが少ないです。 やはり全力で抵抗・反撃する相手に対し、技をかける練習が重要であると思うのです。

私自身、自分の生徒に技がかからずに上手くいかないことがあったり、攻防においてやられてしまうようなことがあっても、 それを恥と思わず、『分析の対象』と思うようにしております。 練習で上手くいかないことがあったらそれを放置せず、分析し克服することが、有事の際、本当に使える技術になると思うからです。

忖度した自分の弟子や後輩にだけは強いが、いざ有事のとき、いざ他流派に挑まれたとき、まったく対応できないようなものは武術とは呼べないでしょう。 これは大学受験や高校受験の勉強でも同じことで、自分の間違い、失敗に焦点を当てず、それを放置したまま受験すれば不合格になる可能性が高まります。 普段の稽古から、いざ本番となるとき、自分がどのような困難に陥るのか?そして、それをどう対処できるのか? それを事前にしっかり認識し克服しておくことが大切だと思います。

そんな私の思いが伝わったのか、いつのころからか練習生同士の稽古の間で「忖度はしないでね!遠慮はいらないからね!」と声が上がるようになりました。 いい雰囲気の稽古場になったなと練習生に感謝しておるところです。

武術の奥深いものを感じる面白さ

長年やっておりますので、現在は護身のために必死になってやっているというよりかは、武術の技術の奥深さを堪能しているという感覚です。 初学者のころ、腕力にもそこそこ自信があったので、腕力・パワーに頼った武術をやっていたのですが、私の師や上級者の先輩にはまったく通用しませんでした。 その頃はまったく見えていなかったのですが、長年の修行を経て、ようやく上級者の方々がやっているであろう技術の核となるものが見え始めたような気がして、 武術家としてのスタートラインに立てた感があります。

腕力や体力まかせでガンガン力をぶつけてやっていた若い初学者のころに比べて、今はこんなに小さな力で相手を操作できるのかという不思議さを感じながらやっております。 「やんわりとした力の感覚」が対抗性の運動の中で上手くいくということが面白いのです。 また、やっていくうちに、小さな力で相手をコントロールできる原理が理解できると、物理の力学の理論に反していないことも実感できます。 そして、技術の背景には「人間」の心理的な性質や生理学的な性質もあります。 いろいろなものが複雑に絡み合って成り立っている系(システム)が見えてくるとより一層面白いでしょう。

護身のために始めた武術でしたが、その修行を通して、護身としての主たる機能以外のことに関して得られる大きなものが、この武術の世界の最大の魅力なのかもしれません。

若者中心の会

ありがたいことに20代、30代の若者が中心に集まってくれております。 下は10代から上は50代の方もおり、元気に練習されております。 もともと私自身がもっと強くなりたいと思い、共に練習ができる同志を集めようとしたのがこの会の発端で、ご年配の方を集めても自分の練習にはならないと考えておりました。

狙い通り、若い年代層が興味を持ち集まってくれております。 『鉄は熱いうちに打て』といいます。 武術の技術は高度で難しいです。 年老いる前に、体力があり頭脳が若いうちに学びに来て欲しいです。

女性が男性に勝つ可能性

女性と男性の体力差は大きく、パワーだけの対決においては、多くの場合、女性は負けることになるでしょう。 しかし有事の際、性別による区別や体重による区別などを訴えても意味がありません。 悪者にはルールなど通用しません。悪者というのは、非力な人間と分かって襲うのです。 身体を鍛えて体力をつけることも大切ですが、それ以上に身を護るための技術を身につけることのほうが生存の可能性を高めるでしょう。

小能く大を制すること」が武術の醍醐味であり、実際のところ古くより伝わる伝統的な武術はこれを可能にできると思っております。 それだけ先人たちのご苦労や英知が蓄積された技術体系になっており、実際に私自身、ほとんど力らしい力を用いずに相手を崩すことができます。 習得することは大変困難なものですが、習得できればパワーで大きく勝る男性を手玉に取ることは可能です。 そのような高い技術を持った女性拳士を育てたいとも思っております。

護身術の必要性 ~ 実際に治安が悪くなっている

以下のような気になるニュース記事がありました。

「体感治安の悪化懸念」=刑法犯増加に ― 露木警察庁長官

2023年7月2日 時事通信社

今年上半期に全国の警察が認知した刑法犯の件数が昨年同期と比べて増加したことについて、 警察庁の露木康浩長官は20日の定例記者会見で、「統計的な指標の動向以上に体感治安の悪化が懸念される」と述べた。

警察庁によると、殺人などの「重要犯罪」は16.5%増加。SNS上で実行犯を募る「闇バイト」での特殊詐欺や強盗、 窃盗事件も相次いでいる。露木長官は「犯罪情勢を的確に踏まえた上で、 国民の不安を解消するための諸対策をこれからも進めたい」と話した。

重要犯罪が16.5%も増加ですよ。1~2%増加だけでも大きいと思うのに、この増加率は驚きではないでしょうか。 先日も私が深夜にコンビニに行ったら、コンビニの駐車場に外国人の集団がたむろしておりました。 都心でもない閑静な住宅街の中のコンビニになぜ?と思い、ちょっと怖いものを感じました。 確かなことは分かりませんが、もしかしたら、外国籍の方の増加が影響しているのかもしれません。 今後の日本のセキュリティ事情を考えると、個人で身を護る技術の必要性は高まりそうです。 肝心なとき警察が助けてくれるとは限らないからです。

具体的にどんな練習をするのか?

さて、具体的な練習の内容について説明します。

初学者の稽古は、型(套路)の稽古とパターン稽古が中心になります。 パターン稽古とは、一定の決まったパターンを繰り返す練習で、相手がこうしてきたら、こう返すというパターンを学びます。 初学者が学ぶパターン稽古は細かく見れば30種類ほどあり、型を学びながらその用法をパターン稽古を通して学んでいきます。

自由組手が練習の中心になるのは、パターン稽古がそこそこできるようになってからです。 すべてのパターン稽古を完璧にしてからというわけではなく、各段階ごとのパターンができるようになったら、その段階でできる技術を用いた自由組手を行います。 このほうが、実際の技の運用の理解が得やすいからです。

自由組手がどれくらいの期間でできるようになるかは、練習頻度や個人の能力差が大きいのでなんとも言えません。 とにかく他の習い事や技術習得と同様、頭脳を使い、身体を動かすことが上達の秘訣ではないでしょうか。

共感できることがあったらぜひ来てください

以上、まとめになりますが、当会では随時、練習生を募集しております。 以下のことに共感ができる方がいらっしゃいましたら、ぜひ足をお運びください。

  • 武術として使える技術を養うためには、自由な意思を持ち、反撃、変化する相手と十分な稽古をすることが大切だと思う。
  • 技をかけさせまいと全力で抵抗する相手に、技をかける練習をしたい。
  • 安全に気を配ることができる信頼ある仲間と練習したい。
  • 伝統武術の高度な身体の使い方を学びたい。